2012年1月17日火曜日

震災より17年

17年前の今、阪神淡路大震災。うちは震度6くらいだったから、倒壊はしなかったがが、妙見堂は激しく傾いてほぼ全壊。妙見宮の大きな石の鳥居の梁が落下。築後10年ほどの本堂、庫裡の全ての壁にヒビが入った。そして停電と断水。停電で井戸から給水もできなかった。

倒壊した家具にカメラが入っていたので状況を撮影することもできなかった。電池の入ったラジオがなかったので乗用車のラジオを聴いた。外灯もすべて消えた真の闇「まもなく夜が明けますので落ち着いて行動して下さい」のNHKラジオの放送が最高の励ましだった。

倒れた家具を全て起こすのに二週間かかった。安否を問う電話にいちいち作業が止まってしまったのも大きな要因。持病が悪化して採決データは入院しなければならない数値に跳ね上がったが非常時でそんなことはできない。

ともかく、家族に怪我がなく、前日夜の妙見祭のお陰か神戸・芦屋・西宮・宝塚の数百件の檀信徒に犠牲者が居なかったのが有り難かった。もちろん、西宮や神戸寺院はとんでもなかった。

うちの寺も壁の修理に一千万円以上かかった。妙見堂の再建と山門の解体修理に一億円。檀信徒も被災して自宅の修繕に数百万円から一千万円以上の支出をして年配になってから新たなローンを抱えたりしている。寄付が言えない。これが震災寺院復興の大きな足枷。

2012年1月10日火曜日

白紙ファックス

今日も白紙ファックスが届きました。恐らく裏表逆に送信されたのでしょう。

下記のことが悉く該当しているので当方としては対処できません

 ・ファックス送信時にお名前かファックス番号がヘッダかフッタに記載される設定になっていない
 ・電話番号非通知での送信のため受信履歴に発信元電話番号の記録がない
 ・ファックス送信前後にファックス送信を告げる電話がなされない

2012年1月2日月曜日

本年もよろしくお願いします

本年、本堂にお供えした鏡餅です。

元旦の午前0時より水行をしたのち、鏡割りをして、新年祝祷会を勤めました。

2011年12月19日月曜日

檀信徒にお願い > 通称と本名

前住職の時代にお名前を「通称」で戴いている檀信徒があります。字の画数や縁起を担ぐ意味は理解致します。

ただ、この「通称」と「本名」で事務上混乱を来すことがあります。お寺としても善処は致しますが、その場合のトラブル※につきましては何卒御容赦をお願い致します。

※郵便が届かない、墓地管理費の二重請求、星札や卒塔婆の混乱、檀信徒名簿で検索してもヒットしない等

2011年12月9日金曜日

お火焚き祭り

本日、夜7時よりお火焚き祭りがありました。
まず妙見堂で読経・唱題。

護摩木の御祈願を読み上げ。1月16日の妙見祭からずっと、妙見堂に安置。

2011年12月7日水曜日

管区の声明師会の二十周年

今年は日蓮宗兵庫県東部の声明師会が発足して20年になる。そのレセプションが本日開催される。20年前の発会式、身延山の結界で信行道場の主事をしていたが、地元に呼び返されるという苦い思い出がある。当時は若くて断れなかった。そのことが後々に尾を引くのであるがここでは言うまい。

さて、私が声明師に任命されたのは22年前。決して十分な力量で任命されたわけではないが、任命後も声明の研修会に積極的に参加し、大小の法要に声明師として参加した。私を育てて戴いた早水 日秀先生、上田 尚教先生をはじめとした諸先生方に感謝である。その実力もさることながら人間性に惚れて研鑽や協力を継続できたと思う。先生方の人間性まで真似はできないけれど、今の姿勢を持続することで恩に報いることとする。

また、日蓮宗の声明師は「宗定法要式」を広めるのが目的とされる。今後は後輩諸師が管区声明師会の会長を勤めてその目的達成のために活躍されるが、邪魔にならないように気をつけながら、鋭意協力していこうと思う。

2011年12月5日月曜日

癌患者さんのグループと僧侶の座談会



本日、明石市の本松寺にて、「ゆずりは明石(癌患者とその家族を支えるグループ)」と「日蓮宗兵庫県東部社教会」との座談会があった。テーマは『がん患者が宗教家にのぞむこと』であるが、私の参加した分科会ではテーマからそれてしまった。以下、その話題。

・告知とフォロー

病院の包み隠さぬ癌告知に対して病院の心のケアはないことの問題。やはり、心の支えが必要だし家族の絆や意思疎通も大切になってくる。言葉にしなかったが、ここに坊さんは傾聴の役目があると思う。そして、そのための平素からの信頼や親しみが必要だろう。

・深化

癌になって生き方や考え方が変化し深まったこと。切羽詰まった心理から、一日一日が大事で感謝するようになる。手術や抗癌剤治療の苦しく思うようにならない入院から開放されたとき、自由に思うように動けること、何でもないことが有り難いと感じるようになる。そして人に対して優しくなれ、怒りを以前より抑えられるようになった。あるいは目に見えないものの価値、例えば「生き様」の貯金に努めるようになり「心の貯え」をするように努めるようになった。生きているのではなく、生かされているということも覚った。それに対して、行き詰まっていない健常者がもどかしく、考え方の軸を少し変えると幸せになるのにと思うこともしばしばだということ。

・心の整理

印象に残ったのは、最期を迎えたら「徳を積んだ坊さんに送ってもらいたい」という言葉。訳をきくと、「あれもこれも気になり思い残すことがあり、その意味で供養って必要だと思う」という。癌になった身体(魄)は先祖からの借りもの、魂は私のもの。その魂をピュアにして死出の旅路にでかけたいとのこと。「ゆるすって難しい」と言われていたから余程のことがあられたのだろう。そのことを整理してから最期を迎えたいとのこと。私は、たとえそういう瞋恚の心が残っても煩悩即菩提があるという話しをしようとしたがうまくは伝わらなかったと思う。いや煩悩即菩提に行く前の「諦める」の元来の意味と四諦の話、十界互具の途中で話しを止めたので消化不良になられたかも知れない。独演会をするわけにはいかない。予備知識の無い方には難解だろうし。

・業論

癌になるのは悪業によるものかという質問があった。それらに対して巷にいる拝み屋さんとは正反対の純粋な仏教的な見解を私は述べた。因果応報というより正確には法華経十如是にあるように因縁果報だという話。口には出さなかったが、この方々は癌の苦を端緒に目覚めておられる。たといそれが悪い業としても、それが転じて善い業に変じていると思う。「浄名経、涅槃経には、病ある人仏になるべきよしとかれて候。病によりて道心はをこり候歟」※

今回は2回目の参加だったが、当初は気が重かったが杞憂だった。語弊があるかも知れないが楽しく有意義で勉強になった。日本人の1/2は癌になる。決して他人事でない。

※『妙心尼御前御返事』真蹟身延曽存 定本1103頁